米国不動産流通研究レポート(前半)
2012年に行われた米国不動産流通調査のレポートです。
(2012年5月ー6月 住宅新報の連載より転載)
第一回: 市場規模、15年で倍増ー物件情報の透明性が鍵に
(本レポートは2012年5月ー6月 住宅新報に連載されたシリーズの原稿を元にしています。)
中古流通活性化へ市場環境整備の機運が高まっている。
多様な市場関係者で構成する国土交通省・不動産流通市場活性化フォーラムが6月の提言取りまとめに向け、議論を続けている。そうした中、フォーラムの事務局を務める国交省土地・建設産業局不動産業課の小林正典・不動産業政策調整官が3月、米国最大の不動産事業者団体、全米リアルター協会(NAR)などの関係者を訪問した。90年代以降、拡大した米国流通市場の背景にある不動産流通システムを本格的に調査するためだ。本連載では7回にわたり、小林調整官が見たもの、そして流通活性化に向け、日本の市場が学ぶべき点を考える。初回は、調査報告の概要を同氏に解説してもらった。
NARから入手し、作成したグラフに示されるように、米国では90年代以降、中古住宅流通量が急拡大した。90年時の約300万戸から05年時には約700万戸と倍増以上だ。その背景の1つが、長期・安定的な低金利。90年代は住宅取得コストが大幅に低下し、一次取得者層にとって無理のない負担で持ち家を取得しやすい環境になった。また、人口・世帯数増加や住み替え・セカンドハウス需要の拡大も影響した。世帯数の持続的な増加やベビーブーマー世代による住み替え、退職後の移住、投資用住宅の活発な取引などにより、不動産流通量が拡大し、住宅資産価値が上昇したことで、活発な流通市場が実現された。
そして、欠かせないのが米国の流通システムの改革だ。特に、各地域の物件情報提供システム(MLS:Multiple Listing Service)の充実が大きい。住宅購入者のインターネット利用の飛躍的上昇やMLSによる不動産物件情報内容の充実で、住宅取得手続きの円滑化や取引活性化につながった。MLSは現在、全米で約900存在する。各地域の市場に透明性の高い不動産物件情報を開示し、流通が促進されている点などは注目すべきだろう。また、MLSを運営する組織が販売するキーボックスの活用による買い手エージェントの効率的な顧客案内や営業活動支援などにより、取引成約率の向上が実現している。
米国の流通システムのポイントはこの物件情報の提供のほか、不動産流通関連事業者の分業化・役割分担、消費者保護の視点に立った不動産事業者の育成(エージェントの教育・講習内容の充実)、建物の資産価値の適正な評価手法の導入、ホーム・インスペクション(建物検査)の制度化を含め、主に5つが挙げられる。 翻って、我が国の不動産取引の活性化に視点を置く。人口減少や少子高齢化問題に直面している中、各地域の住宅や店舗、ビルなどのストックを有効活用しながら、耐震・省エネ改修の促進などによる潜在的な需要を喚起することが重要だろう。
これに加えて、従来から、各地域の宅建業者がこの潜在需要や消費者ニーズに的確に対応し、関連事業者との連携の強化により、不動産流通ネットワークを確立できれば地域経済の活性化につなげることができると考えている。
その際に、米国のシステムから学び、不動産取引の透明性や効率化を向上し、各地域の中小宅建業者の提案営業力の向上を図っていく我が国ならではの不動産流通システム改革を実行に移すべきターニングポイントを迎えているのではないだろうか。
(2012年5月22日 国土交通省不動産業政策調整官(当時)小林正典)
第二回 市場を支える分業化システム - 消費者と事業者がウィン・ウィンに
エスクローやホームインスペクター(建物検査)、モーゲージブローカー(住宅ローンアドバイザー)、アプレイザー(建物鑑定士)、タイトル会社(権原調査保証会社)??。米国の不動産流通では、不動産エージェント(日本の宅建業者)が契約成立後、各専門家との分業化・役割分担により、物件引き渡しを効率的に進めるシステムが機能している。第2回は、この分業体制が構築された背景や日本での導入可能性について解説してもらう。
米国の不動産取引は物件の売出しが地域の売却物件情報管理運営会社(MLS: Multiple Listing Service)による物件情報提供により開始され、物件購入検討者(買主)の代理人である不動産エージェントと売主のエージェントとの条件交渉により契約を行う仕組みになっている。この間、売主は告知書の提示により現状を買い手側に明らかにし、売主の不動産エージェントは、売却価格報告書を提出し、価格の根拠を説明する。
その後の分業化システムは、契約交渉・締結後の消費者保護を図るための仕組みとなっている。このシステムは、全米リアルター協会(NAR)が消費者ニーズを把握し、連邦・州政府に伝え、消費者保護政策や取引促進策を進めていく中で確立された。消費者、業界団体、政府の三位一体による改革であると言える。
米国市場もさかのぼれば、1980年代までは業界主導の市場だったと伺う。そこにスポーツ界のFA制度が波及し、個々人のエージェントの独立性が強まった。2000年以降はインターネットの普及やMLSによる物件情報内容の充実により、消費者がある程度の市場価格や物件内容を判断できるようになった。
そこで賢くなった消費者のニーズが多様化し、これまで以上に合理的・効率的に手続きが進められるよう各専門家の役割がクローズアップされた。90年代以降の価格査定やホーム・インスペクションの制度化もあり、不動産エージェントは多様化する消費者ニーズに対応するため、専門家との連携・分業により取引を進めるようになった。
各エージェントは、条件調整・書類確認・精算などはエスクロー、物件権原調査・保証はタイトル会社、建物検査はホームインスペクター、建物査定はアプレイザーといった各種専門家とのネットワークを確立している。各分野・手続きにおける相談・トラブルは各専門家が対応するため、エージェントのリスク分散になっている側面がある。また、取引を効率的かつ確実に履行し、消費者へのサービス提供を充実していくための必然的な結果でもある。
各手続に係る費用は州により異なるが、ワシントン州の例では、不動産エージェント手数料は売主が、売主・買主の両エージェントに購入金額の3%を支払う。更に、買主にはエスクロー代やローン手数料、物件鑑定代などの負担が発生する。このように、日本の手数料以上に売主、買主の経費負担は大きい。
これは買主側から見れば、安心して確実に住宅を購入するための安心感を負担すること、売主側は売却手続きが効率的に履行されることや確実性を得ていることになる。専門家も、取引件数が増えればビジネスチャンス拡大につながる。分業化に基づく流通システムが市場関係者の利益拡大・雇用対策にもつながり、消費者も安心して住宅購入・住み替えができる、好循環をもたらしている。
こうした分業システムの日本への導入可能性を考える。米国とは歴史的・文化的な背景や商習慣の違いがあり、このシステムをそのまま日本に導入できるとは思わない。それでも、どうしたら消費者がより安心して中古住宅を購入できるか、市場関係者と消費者がウィン・ウィンの関係になっている米国の分業システムは、今後の我が国の流通システムの在り方を模索するうえでのヒントがあると考える。
(2012年5月29日 国土交通省不動産業政策調整官(当時)小林正典)
第三回:流通革命につながったMLS ー情報提供充実で市場が急成長
全米には約900のMLS(Multiple Listing Service)が存在する。不動産エージェントへの物件情報搭載ルールの徹底や各種履歴情報サービスとの連携で透明性の高い充実した情報提供を実施している不動産物件情報提供システムだ。第3回は、小林正典不動産業政策調整官が「米国流通革命のキーポイント」と力を込めるMLSの機能や役割を解説してもらう。
MLSはいわば不動産業者の営業支援を行う民間会社だ。地域の物件情報の提供のほか、事業者教育、キーボックスの販売、契約書の標準化、事業者のルール遵守の徹底・指導を行っている。不動産事業者は各地域のMLSに加入しなければ営業できない仕組みで、事業者はほぼ強制的にMLSが定めたルールに従った不動産取引を実施。消費者利益実現に取り組んでいる。
調査を行ったワシントン州の場合、州政府が決定する売主の告知書の様式以外の標準統一様式はMLSが決め、全事業者に使用を義務化。また、物件情報の24時間以内の掲載の徹底やポケットリスティングの禁止(商談中を続けた場合のMLSからの追放などによるステータス管理)、意図的な誇大広告への罰則などを行う。こうしたルールの徹底は、消費者保護を担うと同時に、MLSにおける物件取引に関する情報の高い透明性を維持する役割を負っている。
MLSの情報提供が充実している背景として、全米のあらゆる不動産物件の履歴情報サービスと連動している点も欠かせない。これにより、過去の売買履歴や周辺の地域情報、地盤情報、市場分析レポートなどを入手することが出来る。消費者が安心して購入判断が出来る最大の理由であり、取引の活性化や市場を急拡大させた要因となっている。
MLSの役割を語るうえで、運営組織が販売するキーボックスの機能にも触れておきたい。米国では90年代後半以降、物件情報提供システムの向上に併せて、キーボックスの標準化が進められた。
キーボックスを活用することで、買い手エージェントはオーナーからの鍵の受け取り・返却の手間が省け、一日に複数の物件を案内することが出来る。また、案内時に解錠されたキーボックス情報は、売り手側へメールやWebで伝達される。自分の物件がいつ誰によって案内されたかが分かり、迅速な売買交渉の開始を可能にしている。不動産業者の営業活動の合理化や販売促進に役立っている。
MLSはどのように運営されているのか。ワシントン州シアトル・キング郡を例にとると、州内16の事務所で地域の2200社の不動産会社や約2万3000人の不動産エージェントに関する営業支援や情報提供などを実施している。サイトの運営や情報の充実、更新も行っている。運営経費は、毎月ブローカー(企業)が$40、エージェント個人が$30の会費を負担するほか、キーボックスの販売や研修の利益、各種書籍、情報販売収入などで賄っている。
全米リアルター協会(NAR)サイトには、現在14カ国が参加し、年間1100万超の物件情報が全世界に提供されている。今秋にはNAR日本オフィスが開設予定だ。不動産の国際取引が活発化する中、物件情報の整備・提供の国際的な動向を注視するべきだ。それと同時に、国内不動産への投資・流通促進策の戦略が急務だと考える。
米国の不動産流通革命に欠かせないMLS。日本の消費者がこれを見たときにどう反応するだろうか。物件情報の整備・提供のグローバルスタンダードについての議論も必要だろう。
(2012年6月5日 国土交通省不動産業政策調整官(当時)小林正典)